船舶技術研究所ニュース № 5

SRI NEWS


 阪神大震災により高速道路や鉄道の安全基準や、建物からの避難設備に対す る一般の人の関心が高まっています。そこで、船舶の安全性や避難脱出に関して 新しい視点から評価しようという研究に取り組んでいるグループの、推進性能部 の勝原さん、装備部の岡田さん、金湖さん、太田さん、亀山さんに研究の概要や 現状などについて語ってもらいました。

 Q.新しい安全評価に関する研究ということですが、どういう点が新しいの ですか。

勝原:現在の船舶の条約や法律にも、もちろん救命設備や安全性に関する規定 があるのですが「救命艇は非常の場合に安全かつ迅速に水上に降ろすこと ができること」とか「脱出経路は2つ以上で混雑することなく速やかに脱 出できること」といった規定で、事故が起きてから人間が避難・脱出する プロセスが考慮されていません。人間の避難に基づく基準は、建築基準法 では既に導入されているのですが、船舶ではあまり追求されてきませんで した。
金湖:船舶の安全規則には大きな事故が起きる度に条項が付け加えられてきた 経緯があるので経験的なものとなっています。したがって、かなり安全側 の規則となっているはずなのですが、安全確保のシナリオができていない ため、これで十分なのかの検討が必要となってきました。
岡田:また、新しい形式の船舶が出現したときにも、これまでの安全基準をそ のまま適合させることに矛盾が生じてきました。避難しやすい船では、他 の安全基準が緩和されるといった考えの方が合理的です。そこで、実際の 事故を想定したシナリオを考えておいて、人間の行動を含むシステム全体 の有効性を解析して安全基準を見直していこうという考えが出て来たので す。

写真1 左から装備部 太田 進 主任研究官、岡田 裕
主任研究官、金湖 富士夫 主任研究官


Q.事故のシナリオという意味が今一つ理解できないのですが、具体例にはど うなるのですか

太田:客船やカーフェリーでの火災を例に取ってみましょう。船の中には、火 災の原因となるエンジンとか厨房とかがあります。シナリオによって出火 場所を決めると、煙と火がどのように移動するかが予測できます。この中 に人間のモデルをおけば、火災の中でどのように人間は行動し、その結果 どのように乗客が避難できるかが判定できます。この時換気扇の位置や数 の基準を変えれば煙の濃度や移動速度が変わり、乗客が避難できる確率、 つまり安全性がさらに高くなる可能性があります。換気扇だけでなく、通路の配 置や幅、階段の角度など、船のすべての基準に対してこうしたアプローチ が可能です。このように人間の安全という面から、船の安全基準を決めて いく方法を研究しているのです。
岡田:衝突による浸水で船が傾斜する場合のシナリオも、構造強度部や運動性 能部とともに開発中です。衝突により船舶のどの位置にどのくらいの大き さの穴が開くか。その場合、時間経過とともに船がどのように傾くかを考 慮したシナリオにより、脱出用装備等の安全性を評価するのです。

写真2 装備部 亀山 道弘 研究官(左)と推進性能部
勝原 光治郎 室長


Q.人間の判断モデルとはどのようなものですか。

亀山:人間が避難する場合、冷静に避難する場合と、パニック状態の2通りが 考えられます。冷静な避難では、避難経路を選択しながら個々の人が避難 するようなシミュレーションを考えます。経路が渋滞していると別の経路 を探すといったモデルです。
勝原:この場合、個々の人の歩行速度や、時間当たりドアを通れる人数、行動 開始遅れ時間などが計算に必要となります。こうしたことを検証するため に、航海訓練所の練習船青雲丸で実習生に避難してもらい、実船実験をお こなっています。
金湖:パニック状態での避難では、各場面での人間の判断を確率的にモデル化 する必要があります。何%の確率で階段を登ろうとするとかです。被験者 に仮想現実の世界で災害場面を体験してもらい、その行動を調べます。コ ンピュータの作り出した世界の中で船舶火災などを体験するわけですが、 あまりに現実味があり被験者の脈拍があがる等の危険が予想されるためた め、幼児や老人のデータを取るには工夫が必要です。

写真3 航海訓練所練習船青雲丸での実船実験。航海科
の学生(白服)と機関科の学生(青服)が避難経路の階
段で渋滞している。


Q.研究の中でのそれぞれの担当を教えてください。

勝原:冷静に避難する場合の行動をシミュレートするプログラムを作っていま す。
亀山:勝原さんを手伝いながら、実船実験も担当しています。
岡田:確率論的な手法を使って船舶を評価する枠組みを作っています。こうし た研究ですからそれぞれの担当分野での安全に関する概念のすりあわせに 苦労します。
金湖:避難のシミュレーションとパニック状態での人間の判断モデルの担当で す。既存のものにぴったりとしたものがないため、モデルは自分で作るこ とになります。
太田:事故例をデータベース化しシナリオを作り、それぞれの発生確率を解析 しています。火災・煙のシミュレーションも担当しています。


Q.将来的にこの研究はどんなことに生かされるのですか。

勝原:安全性が絶対条件の旅客船・フェリー市場に安全を特長とした船を投入 することにより新市場の開拓や造船業の国際競争力の強化に繋がればと思 っています。
岡田:こうした安全評価を導入することにより、新しい発想での船舶設計が可 能となります。そのためにも、こうした安全性の評価方法が設計基準まで フィードバックされることを願っていますし、そうならなければいけない と考えています。

図1及び写真4仮想現実を用いた船舶火災の概念図と、歩行装置。被験者には コ
ンピュータの描き出した火災の中を自分が避難しているように感じられる。( 筑
波大学岩田研究室提供)